雑's ニュース なんでも書く

雑's ニュース なんでも書く

ニュース、映画、音楽、テレビ、ラジオ、本…好きなことを書いていく

戦後生まれの「反戦歌」と獄中結婚したおときさん

資本主義側 Vs. 社会主義側の代理戦争として、米ソが本格介入し泥沼の様相を見せたベトナム戦争。多くの戦場カメラマンが現地の状況を伝えたことで、世界的な規模で反戦運動が起きることになった。

1971年には反戦家のスタンダードともいえる名曲が数多く誕生した。ジョン・レノン「イマジン」、ジョン・レノン&オノ・ヨーコ「パッピークリスマス(戦争は終わった)」など今もたくさんのアーティストに歌い継がれている。

7/12の音楽バラエティー番組「ユメルのモナリザラウンジ」(TOKYO FMグループのMUSIC BIRDほか、毎週日曜深夜24時~)は1971年のヒットソングをオンエアした。

日本を代表するジローズの「戦争を知らない子供たち」だが、リリース当時は戦争を知ってる世代から「歌詞が甘すぎる」「戦争を知らないくせに生意気だ」「戦死者を冒涜している」などの批判が相次いだそうだ。

戦争が終わって 僕らは生まれた
戦争を知らずに 僕らは育った

若すぎるからと 許されないなら
髪の毛が長いからと 許されないなら

青空が好きで 花びらが好きで
いつでも笑顔の すてきな人なら

一番から三番までの歌い出しを抜粋してみた。今となっては何が問題だったのかピンとこないが、屈託のない歌詞を明るいメロディーにのせて戦争の歌を歌うこと自体が、戦中派は不謹慎と捉えたのかもしれない。

作詞した北山修さんはこの曲が初めて披露された大阪万博のステージで「100年後、200年後、僕たちの子供も戦争を知らない子供たちで…」と曲に込めた思いを述べたという。

琵琶湖周航の歌

この日の番組では加藤登紀子さんの「琵琶湖周航の歌」も流れた。おときさんといえば、東大在学中に学生運動の闘士で拘置中だった恋人、藤本敏夫さんを思って作った「ひとり寝の子守唄」(1969年)がヒットするなど活動家らしい一面もある。

なので「琵琶湖周航の歌」という長閑なタイトルにはギャップを感じないわけではない。ただ周航といっても題材は観光船ではなく、大正期に旧制高校のボート部員が作った学生歌だった。

7人が乗り込み3~4泊の強行軍で琵琶湖を一周する恒例行事があったそうで、部員の一人が歌詞を書いたという。滋賀県ご当地ソングとして湖畔にいくつかの歌碑が建ち、県民に歌い継がれているそうだ。

おときさんは「琵琶湖周航の歌」が大ヒットした翌年、藤本さんと獄中結婚して世間を驚かせたという。所属事務所がよく許したなと思う半面、タレントにも思想の自由、公私の区別がしっかりあった時代なのだろうとも。

世界各地で紛争が勃発し、学生運動は盛んだったけれど、SNSで匿名の大バッシングが頻発する現代に比べて、社会全般は好戦的とはいえなかったように思える。

大半が戦後生まれになっても皆が笑顔でいられるような平和な世の中は実現していない。

「ユメルのモナリザラウンジ」は1960~90年代のJ-POPを中心にした音楽バラエティー番組。シンガーソングライターの茜沢ユメルがメインパーソナリティーを務め、毎週日曜深夜24時からTOKYO FMグループの音楽専門衛星放送「MUSIC BIRD」のほか全国100局超のコミュニティーFMでオンエアされている。

MUSIC BIRDの番組公式ページ放送局一覧