コロナ時代と「幕末太陽傳」 生き抜いてやる!の心意気
新型コロナウィルスに伴う不安が増大している。異常気象に伴う災害も恐ろしい。それでも弱気にならず、たくましく生き抜かないとな。
「太陽の子」のラスト
映画ではなくテレビの話から。少し前になるが終戦の日にNHKで放送された特集ドラマ「太陽の子」を見た。三浦春馬さん、柳楽優弥さんらの熱演もあり見応え十分。数日後の再放送も見てしまった。
ただ主人公が現代の原爆ドームに迷い込むようなラストにモヤモヤ。幾通りにも解釈でき「視聴者それぞれに考えてほしい」ということなのだろう。
扱っている題材が「戦争」「原爆」という重いテーマだっただけに明確なメッセージを示してほしかった。浅薄な見方しかできない己の感性が問題かも知れないけれど。
突然タイムスリップ
過去の出来事を描いた作品なのにラストシーンが唐突に現代に切り替わるのは、やはり戦争をテーマにしたジブリアニメの「火垂るの墓」(1988年)をはじめ(遠景に都会のビル群が出てくる)、これまでもたびたび目にしている。
映像作品には既に定着したスタイルの一つだが、それを初めて試みようとしたのが、今回取り上げたい川島雄三監督のコメディー映画「幕末太陽傳」(1957年)だった。
学生の頃に読んでいた週刊ヤングジャンプ連載の「栄光なき天才たち」にそのエピソードが紹介されていた。amazon primeに加わっていたので改めて鑑賞してみた。
舞台は幕末の品川宿
東海道の宿場として栄える幕末の品川。高杉晋作ら長州藩の志士が長逗留する女郎屋を舞台にストーリーは展開する。
石原裕次郎さん、小林旭さん、二谷英明さんら長州藩士役の俳優だけを見ても分かるくらい錚々たる面々が登場する中、主役はフランキー堺さん演じる「居残りさん」の佐平次。
無一文の佐平次は女郎屋で仲間とさんざん豪遊したあげく、一人残って「ないものはないもんね」と開き直り、物置(行灯部屋)へ連れていかれる。番所に突き出すよりタダ働きさせた方がよいと考えたのだろう。
ここからが佐平次の本領発揮。天才&犯罪的な要領のよさで女郎屋で起きるトラブルを次々と解決していき、自然と誰からも頼りにされる存在となり手間賃を稼いでいった。
南田洋子さん、左幸子さん演じる新旧ナンバーワンの女郎からもモテモテ。「顔はチンチクでもこれからの世の中はこういう人が頼りになる」と結婚を迫られる。
時代が早すぎたか
クライマックスは高杉らによる英国公使館焼き討ち事件。佐平次もビジネスとして協力し、その夜が明けないうちに品川宿を走り去る後ろ姿で幕となる。
川島監督の構想では、佐平次はそのままセットを飛び出し、スタジオの扉から外へ抜け出して現代の品川を駆け抜けるはずだったという。
ところがスタッフ、キャストから「訳が分からない」などと反対されて実現しなかったそうだ。
今でも「日本映画○選」という類の企画で上位に必ず入る名作だが、この幻のラストシーンがあったなら、さらに評価が上がっていたのかもしれない。
太陽族の価値観
タイトルにある「太陽」は公開当時に跋扈していた「太陽族」から。石原慎太郎さん原作、裕次郎さん主演の映画「太陽の季節」に影響された享楽的で無秩序な若者たちを指すという。
世代が違いすぎて具体的なイメージが湧かないのだが、性犯罪が増えるなど深刻な社会問題になっていたらしい。アホな政治家なら「元気があってよろしい」とか言って放置したかもしれんが。
幕末といえば、尊王攘夷思想が過激化して、テロも日常茶飯事になり、幕府の権威も凋落していた時期。それまでの価値観が崩れ始めたときだった。
胸の病を患っていた佐平次はラストシーン近くで悪い咳をした後に「死んでたまるか。生き抜いてやるんだ」と叫ぶ。規範を守ることに重きを置かず、不道徳でも自己を最優先する生き方を太陽族に重ねたように見えた。
◇
新型コロナ感染拡大とそれに伴う不況、自国第一主義の台頭、米中対立の深刻化、バッタの大量発生による食糧不足、異常気象の常態化、大災害の頻発…。
新型コロナウィルスの出現以来、国際協調という概念が大きく揺らいでいる気がする。幕末や戦後混乱期に匹敵するカオスが近づいているのかもしれない。
佐平次のように自らの才覚でたくましくも図々しい生き方が求められてくるのか。人に迷惑をかけてはいけません、決まりは守りましょう――。戦後教育の賜物で染み付いた価値観がひっくり返りそう。