温故知新とは…自分の半生を振り返る作業でもあった
新型コロナ禍で窮屈な生活を送っているものの、アラフィフでSTAY HOME期間を迎えて良かったなぁと思うこともある。
人生100年時代となれば、およそ中間点。ふだんの不摂生から人より長生きできるとは期待していないが、それでもよい区切りだ。
これまで趣味というか聴く音楽のジャンルに関しては、新しいものに手を出しては飽き、また他に手を出しては飽き、またまた他に手を出しては飽きることを繰り返してきた。
クラシック、歌謡曲から始まり、邦楽、洋楽、ジャズ、民族音楽と関心が移り、最近は演歌にも抵抗がなくなってきた。
学生時代にハマった1960年代から70年代にかけての洋楽のように、そのサイクルが頻繁に訪れてくるものも。一度気に入るとアーティストや作者に絞り込んで聴き込むタイプなのだが、結局一過性で終わることもある。
厄介で迷惑な人たち
こちらが音楽好きと知ると、一番好きなアーティストをしつこく聞いてくる種類の人達がいる。そんなときは面倒なので「ビートルズ」か「RCサクセション」と答えておく。大好きなのは間違いないので、話し込まれても困らない。
ふだんの会話から古い洋楽が好きだと類推される人には「プログレ」と答えることもある。しかし、期待通りにはいかず「何それ?」とポカーンとした顔をされることがままある。
ましてや「ケヴィン・エイアーズ」と言おうものなら、どんな反応をされるか分かったものじゃない。正直に答えただけなのに、知らない名前を出したことを不愉快に感じ、詰問口調で質問を浴びせてくるだろう。
これまた面倒なのだ。ケヴィン・エイアーズのキャリアは長く、既に亡くなっており、最新作があるわけでもない。作風は前衛音楽からトロピカルなポップスまで何でもあり。そもそも一言でまとめられるようなものはあまり好きではない。
答えあぐねていると、あろうことか相手は自分の趣味を押し付けてきたりする。ケヴィン・エイアーズにはまったく関心を示さず、「絶対気に入る。聞かなきゃ損だ」まで言ってくる場合も。それって失礼だし、大きなお世話サマーざます。
悪気はないのだろうが、こちらが既に興味を失っているものだったり、これまで聴いてきたジャンルに収まりがつくものだったりすると、ますます食指が伸びない。
強引にデータを渡されたりすると、聴く時間がもったいないと感じ、当たり障りのない感想をひねり出す義務も生じるので大変憂鬱になる。
なおケヴィン・エイアーズは来日公演もしているし、代表作は日本盤も出ているし、知る人ぞ知る存在だがとてつもなくマイナーというわけではない。
STAY HOMEで戻った感覚
年を追うごとに音楽の趣味が細分化してしまい、行き着いた感があった。新しいものに対して感覚は鈍くなり、音楽を聴くこと自体が以前ほど楽しくなくなっていたのだ。
ところがSTAY HOMEで時間が有り余る事態となった。そのおかげでこれまでの半生で聴いてきた音楽をあらためて振り返ることができた。
ここ最近は「もっと刺激的なものはないか」と、死ぬまでに体験すべき未聴の作品の掘り起こしがメインだったが、間違ってたなぁ。一度聴いて放置していたものの中にいかに傑作が多かったことか。
先入観の強い天の邪鬼とは自覚していたが、今回の退屈過ぎたSTAY HOMEがなければ、あらためて情報収集もしなかっただろう。好きな音楽を聴くことの純粋な歓びを再認識した格好だ。
ケヴィンの愛娘がデビューしてた
そして、そんな生活をしばらく送っていたら、前出のケヴィン・エイアーズの愛娘、ギャレット・エイアーズが昨年デビューしていたことを知った。まだ若かった父親と一緒にいる子供の頃の写真や映像は見ていたが、ずいぶん大きくなった。
バリトンを響かせる父親に対して透明感のあるキレイなソプラノボイスだ。なんと父親の代表曲を一緒にデュエットしている。もちろん後から多重録音したものだが、目頭が熱くなった。
自分の半生を追体験する中で見過ごしていた価値を掘り起こし、その作業に伴って新しい動きを知る。温故知新とは若い人にこそふさわしい言葉だと思っていたのだが、人生を振り返る言葉でもあったのだな。
◇
というわけで、STAY HOMEが明けて仕事が再開してからは、前にも増して忙しい。人生100年では足りないかもしれない。
目下の心配は音楽の振り返りがいずれは童謡にまでさかのぼりそうなこと。「さっちゃん」とか聴いて泣いてたら認知症が始まったと思われるかもしれん。