自分は新型コロナに既に感染していた、という勝手な解釈
新型コロナウィルスとの闘いは長期戦が必至とか、第二波、第三波に向けて備えをなどとなかなか気を緩ませてくれない。そうなるとついつい「自分だけは大丈夫」という邪心がむくむくと湧き上がってくる。
あれは3月上旬のことだったろうか。起床時からかつてないほど体がだるく、ベッドから出た途端にフラフラとよろめいてしまった。
熱を測ると37℃。4日連続で37.5℃以上になってから受診するよう既に「誤解」させられていたので、病院にも行かず自宅にこもっていた。
あの発熱は何だった?
翌日には体のだるさは残るものの、平熱に下がったのでそのまま通常の生活に戻った。新型コロナに感染したという思い込みが起こした症状に違いないと自己分析していた。
例えば、堀ちえみが舌癌の手術をしたと聞いただけで、自分も同じ病気になったような気がして呂律が回らなくなるほど主体性のない人間なのだ。
その後、日常の中で当然ながら濃厚接触する人間が出てくるわけだが、幸いにして自分の周囲に新型コロナの感染者は出ていない。やはり思い込みによる症状だったのだと結論づけていた。
ところがである。前のブログで取り上げたように台湾やドイツの調査で、発症してから一週間後には感染リスクがなくなる可能性のあることが分かった。
となると自分は3月上旬に既に新型コロナに感染していたのではないか、とあらためて思い込み始めている。
「Thinkihadititis」病
ワシントンポスト紙の記事を紹介した「『私きっとコロナ流行前に感染していたと思う』病が増殖中 ― それ、単なる思い込みでは?」というコラムを読むと、同じようなことを考えている人は多いようだ。「Thinkihadititis」病=「私は既に感染していたと思う」病と命名し、昨年11月の症状までさかのぼって感染を確信する60代の話などを取り上げている。
この記事の後半で感染症の専門家が分析しているように皆が「自分に都合のいいように解釈している」だけかもしれない。
苦しい治療や隔離生活を経験することなく、抗体を獲得できたとあればこんなにありがたいことはない。しかも他人への感染リスクもないとなれば、大手を振って自由に行動できる。
身勝手ながらその日が待ち遠しくなる。いまの段階で、国内ではせいぜい1日1万人程度の検査能力だ。いつのことになるのか分からないが、早いところ全員がPCR検査もしくは抗原検査を受けられる日が来ることを切に願う。
お墨付きが欲しいのだ。所詮、自分が一番可愛いもんね、と卑下してみた。