雑's ニュース なんでも書く

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終戦の日に聴きたい…茜沢ユメル「陽光桜~あの時の教え子たちへ~」

きょうは終戦の日。平和のシンボル・陽光桜の誕生秘話を後世に伝えるプロジェクトを展開するシンガーソングライター、茜沢ユメルさんの楽曲を紹介したい。

遠く散っていった命
大切な教え子たちを

送り出した私

茜沢ユメルさんが作詞作曲した「陽光桜~あの時の教え子たちへ~」の歌い出しだ(以下、引用は歌詞の一部)。陽光桜を開発した青年学校の元教師、高岡正明さんの心情を綴っている。

青年学校は戦時中に存在した教育機関。義務教育の国民学校(小学校に相当)卒業後、中学校などに進学せず働きに出る13~19歳の青少年が通っていた。

高岡さんは愛媛県の山間にある学校で農業を教えていたそうだ。

一枚の記念の集合写真

校庭の桜の下で

若かった教え子たちと

終戦を迎えた高岡さんは多くの教え子が戦死したことを知り、「お国のために」と送り出したことを激しく後悔する。

贖罪と供養を考えたとき、高岡さんの目に入ったのが満開の桜の下で撮った集合写真だった。

猛暑の南洋でも極寒のシベリアでも花を咲かせることができる、強い品種の桜を開発することを決意した。

私財をなげうち25年の歳月をかけ、農水省の種苗登録も成し遂げた。バチカン市国をはじめ国内外に約5万本が寄贈されている。

家族に反対されても、高岡さんは「死んだ教え子たちのために、どうしても桜を造らせてほしい」と理解を求めたそうだ。

悔やみきれない思い

この曲を初めて聴いたのは2014年、東京・赤坂のライブハウスで。同じく陽光桜をテーマにした茜沢ユメルさんの「Stay~さくらの花のように」のリリースを記念したライブだった。

高岡さんの家族は歌詞に出ている「悔やみきれない」というフレーズを見て「親父も生前よく言っていた言葉です」と感慨深げに話していたそうだ。

2018年にリリースした「風になって花と踊ろう」のカップリング曲として収録されている。

茜沢さんは2013年から陽光桜の誕生秘話を後世に伝えるプロジェクトを展開。ミニライブ、朗読劇のほか、映画監督として「陽光の木の下で」シリーズ2本を自主製作している。

愛してる 桜が咲き誇る国
いつまでも忘れない

ここに生きたあかし

 

陽光は教え子それぞれの
希望や夢をのせて

平和を祈っている

戦後75年を迎え、出征した帰還兵や戦死者遺族の高齢化に伴い、慰霊碑を撤去したり戦争遺品が散逸したりするケースが相次いでいるという。

戦争の悲惨な記憶が風化し、旧日本兵の遺品を着てサバイバルゲームに興じる若者集団まで出ているとか。死者、遺族への冒涜ではないか。

茜沢さんらのメッセージが広がり、桜を愛でながら戦争の犠牲になった先達に思いを馳せる習慣が根付けばよいな。