医者の抗議ヌードと岡村の風俗嬢発言…共通する感覚
新型コロナウィルスの治療に当たるドイツの複数の医療従事者が、防護服不足の窮状を訴えるために自身のヌードをインターネットで公開しているという。
海外メディアが取り上げているが、裸の画像を掲載しているサイトが取材の申し入れに返答しないため、本当に医療従事者なのか真偽のほどは分からないらしいが。
画像を公開した目的は「残り少ない防護服がなくなったら裸と同じくらいに無防備」というメッセージを伝えるためとのこと。立派な行動だと思うのだが「ヌード」という言葉にまず反応してしまう自分がいる。
文化の違いという一言でおしまいかもしれないが、どうして抗議したり寄付を募ったりするのにヌードになる必要があるのか。裸になることへの羞恥心がなさすぎる、と見当違いのことを考えてしまう。
生放送で裸になる政治家
英国のボリス・ジョンソン首相の妹で政治家のレイチェルさんは、生放送のニュース番組でEU残留を訴えるため上半身裸になった。少し前に同じ理由で全裸になった経済学者に追随したそうだ。
オーストラリアの女子サッカー代表チームが遠征費を稼ぐため、メンバー全員によるヌード写真集を販売したことが美談として伝えられたこともあった。
具体的な事例をすぐに思い出せるのは、それだけ数が多かったからなのか、それともショッキングだったからなのか。いずれにせよ、筆者が並々ならぬ関心を持っていることは間違いなく、ひたすら恥ずかしい。
妄想ばかりの世代
翻ってナインティナインの岡村隆史さんの風俗嬢発言である。コロナ不況で一般女性が風俗業界に流れてくるのを楽しみに待つ、という趣旨の擁護しようのない内容だが、上に挙げたニュースを興味本位でクリックしてしまう筆者と根っこは変わらない気がする。
かつて良識派と呼ばれる我が国の指導層は陰毛をワイセツ物と断じ、健康美も芸術もエ○本もいっしょくたにして取り締まりの対象とした。
「ヌードは悪」という意識を植え付けられた挙げ句、哀しいことに妄想ばかり膨らませてきた世代なのだ。健全なエ○など育つわけがない。お堅い職業をタイトルに付けたアダルト作品が山ほどあるのは、それだけ歪んだ男性が多い証しでもある。
岡村発言を許せない理由
岡村さんはラジオ番組で謝罪したものの、降板を求める署名運動が始まるなど騒動が収束する気配はない。尾を引く一因に男性側の後ろめたさがあるはず。岡村さんを許してしまうと、自分も同類であると認めた気がして、矛を納められないのだろう。
時代が変われば高級娼婦、花魁はセレブ階級に属しており、風俗嬢を底辺の職業と見下す風潮にも異議あることを最後に申し添えておく。